『なー、ナオちゃんは短冊になんて書いたー?』

『こづかいがあがりますように、って』

『あはは、ガツガツしすぎじゃん!』

『うっせぇな! そういうおまえはどうなんだよ!』

『わっ、こら返せよ!』

『なになに、『あたらしいゲームを買ってもらえますように』……へっ、おまえもおんなじようなもんじゃねぇかよ!

 なぁ、壱はなんて書いたんだ?』

『……ま、まだ書いてない』

『あー、そっか』




 休日(正確に言えば、今は夏休み中なのだが)に人を待つなど、何年ぶりだろう。

 それを言うなら、こうして浴衣を着て夏祭りに行くことの方が、随分久しぶりのことだ。

 ナオがまだこの町に居た頃……ナオに誘われて、大勢のクラスメイト達と一緒に行ったのが最後だった。その時のことは今も鮮明に覚えている。

 もう遊ぶ子供の姿もない夕暮れ時の公園で考えを巡らせていると、今やすっかり馴染みになった軽快な足音が聞こえてきた。すぐに音のした方に顔を向ける。

「ナオ」

「悪りぃ! 遅れた……」

 片手を上げすまなそうに言うナオ。その格好はオレと同じ、浴衣だ。

 濃紺の地に白い縞が走った浴衣に黒い帯。黒髪によく映えて、似合っている。オレが目を奪われていると、

「そ、そんなに見つめんじゃねぇよ……」

 照れた様子で、ぼそぼそと言われた。

「ナオ、よく似合ってる」

「あ、あぁそうか。……おまえも、似合ってんじゃん」

 黒絣の浴衣に、白の帯を身に着けたオレの全身を上から下まで見てから付け足された言葉に、うれしくなる。

「ナオに褒められると、うれしい」

「またおまえはそういうこと言って……んじゃ、行くか」

「あぁ」

 俯き加減で早足に歩き出すナオの背を、オレはいつものように追いかけた。




 話は五日前に遡る。

 ナオの家に遊びに行っていたとき、ナオの方から夏祭りの話を出して誘ってきたのだった。

『なぁ壱、今度の日曜日に夏祭りがあるらしいんだけど……よかったら一緒に行かねぇか?』

 それから小さな声で付け加えられた事には、

『……真柴も太田も都合悪りぃらしくてさ、その……オレ達二人だけ……なんだけどよ』という予想外の事実だった。

 当然行くと即答したら、『んだよ、そんなにうれしそうな顔すんじゃねぇよ』と、赤く染まった目元で軽く睨み付けられた。

   その後、待ち合わせについて等を話していると、丁度菓子を運んできたナオの母親が提案してきたのだ。

『せっかくお祭りに行くんだったら、浴衣を着て行ったらどう?』と。

 ナオは最初恥ずかしいからと嫌がったが、楽しげな母親とオレの強い希望に押し切られる形で最後は渋々ながら頷いた。

『おまえも着ろよ! オレ一人なんてぜってぇ嫌だからな!』

 一つ、オレも浴衣を着るという条件をつけて。



 夏の長い日も既に落ちきり、空には雲もなく――だいぶ満月に近づいた月がよく見えた。

 神社の境内に続く道に露店が並び、人がごった返している。

 祭りに来てからすでに二時間は経っただろうか、ナオはよく遊びよく食べた。

 射的に型抜き、ヨーヨー釣りに金魚すくい、焼きそばにいか焼き、フランクフルト、フライドポテト。

 そして今も、屋台でたこ焼きを買って戻ってきた。

 遊んで食べてはしゃぐナオがとても楽しそうだったから、オレも楽しかった。

「……はふ……んぐ……、あーあっちぃ! けど、やっぱ縁日で食うたこ焼きはうまいよなー。ほら壱、おまえも食えよ」

「あぁ」

 差し出されたたこ焼きを一度で口内に収めると、ナオは慌てた。

「おま、火傷するぞ!?」

「……もぐ……問題ない」

「ったく……」

 たこ焼きを食べるのも随分久しぶりのことだ。うまい、と言うとナオは少し笑った。

 ナオはたこ焼きをあっという間で平らげると、満足げにパックをゴミ箱に捨てた。

「さて、と。そろそろ締めになんか甘いものでも食うかな」

「ナオ、腹は大丈夫か」

「縁日の食いもんってあんまり量ねぇからな。平気平気」

 傍から見ていてかなりの量を食べていた気がしたが、ナオがそう言うのなら平気なんだろう。オレはそれ以上何も言わないことにした。

「わたあめかりんご飴か……いや、チョコバナナも捨てがたいよなー……」

 あちこちの屋台を見回しながら呟く。今日初めて、ナオが悩んでいる。

「どれがいいか悩むなら、オレが全部買う」

「いい、いいって! それこそ腹壊しちまう」

 オレが屋台に向かって足を踏み出しかけると、あわてて浴衣の裾を捉まれた。

 横を通り過ぎた男女が二人でひとつのかき氷を食べているのを見て、かき氷もいいなー……とナオが呟く。

 オレもその様子を見て思いついたことを口にする。

「オレ達も、何かひとつずつ買って半分ずつ食べるか? そうすれば、二種類食べられる」

「ん? おまえ、甘いもの食うのか?」

 そんなに好きではないが、別段嫌いという訳でもない。オレは頷く。

「そっか、なら半分ずつ食うか!」

 途端、ぱっと明るい笑顔になるナオ。その顔が見られるなら、オレは何だって食べる。

「よーし、じゃあオレは……うーん、りんご飴かな」

 壱はどうする?と訊かれて、特に考えていなかったことに気づく。

 あたりの露店を見回して、何かないかと考える。

(……あ)

 視界の端に捕らえたそれに、瞬時に幼い頃の記憶が蘇った。あれがいい。

「……ラムネでもいいか」

「あぁ、そういや喉も渇いたしな。いいぜ」

 運よく、りんご飴とラムネを含め飲料を売っている露店は並んでいた。それぞれひとつずつ買って、すぐに合流する。

 お互いに自分が買った方のものから口をつけた。

「うん、祭りに来たらやっぱりこれ食わないとなー」

 上機嫌でりんご飴を食べるナオを見ながらラムネを飲んでいると、不意にナオがこっちを見返してきて口を開いた。

「……おまえ、昔はラムネも飲めなかったんだよな。炭酸が辛くて飲めない、っつって」

「……あぁ」

「そのくせして、オレの真似して買って……で、結局オレがおまえの分飲んでさ……」

 ナオも、覚えてくれていた。幼い頃の、些細な思い出話を。

 うれしい。その場で抱きしめるのを我慢するのが、大変だった。



 あの頃も、ナオの周りにはいつもたくさんの人間が居た。二人きりになれることなど、あまりなかった。

 二人きりになれるのは、帰り道で他の人間と別れた後に数分歩く間くらいのものだった。

 別れる度にぐずっていたのは、単に別れるのが嫌なのと……二人きりの時間を少しでも長引かせたいから、というのもあったと思う。

 だから、あの時――

『あれ、壱、おまえ短冊は?』

『……なくした』

『うわ、もったいねぇな! 先生に言って新しいのもらってこいよ』

『……家で書くから、いい』

『おまえがそう言うんならいいけどよ……』

 オレは学校行事の一環で書く短冊を書かずに、本当の願い事を書いた短冊を家で飾った笹の内側近くに隠してかけた。

 その後大勢で行った七夕の祭りで、オレはナオの真似をしてラムネを買って、辛くて飲めなくて……ナオに飲んでもらったんだ。



「あれは七夕の祭りだったっけか」

「そうだ」

「だよな、短冊書いた記憶もあったから覚えてた。……懐かしいなー」

 どこか遠い目をしてナオは笑った。

「覚えていてくれて、うれしい」

「ばっか、なんでもかんでも喜ぶな! こっちはなぁ、あの時腹たぽたぽになって苦しんだんだぞ!? 簡単に忘れられるかっての」

「すまない。でもオレは、うれしい」

「っ、なんでもかんでも口に出すな! つかその顔やめろ!」

 そう言われても、緩んだ頬はなかなか戻らない。とりあえず、ラムネを飲んで口元を隠した。

 ナオはそっぽを向いて、りんご飴に齧りついている。

 少しの間、黙々と飲食をしながら歩いた後。

「……半分くれぇ食ったから、交代な」

 ナオがくれたりんご飴を受け取って、ラムネ瓶を渡す。サンキュ、とナオが受け取ったその時。

 ぱん、ぱん

 乾いた音が数発、立て続けに背後から聞こえて、オレ達は同時に振り返った。

「お、もう花火の時間か! きれいだなー」

 果たして、夜空に大輪の花火が上がっていた。特別珍しい種類のものではないのだろうが、美しい。オレは頷いて、

「ナオ」

 手を差し出した。

 花火が始まったからだろう、人ごみがひどくなっている。下手をしたらはぐれてしまいそうだ。

 差し出したオレの手を、ナオは無言で握った。

 いつもならはぐれて困る年でもねぇだろ、などと言ってはたき落とされそうなものなのだが……暗闇とひどい人ごみだから、そうはしなかったのだろうか。

 うれしくなって、軽く握られた手の指を絡めてきつく握った。

 ナオは驚いた顔で一度こっちを見た後、何も言わずに俯いてラムネを飲んだ。

 俯いた拍子に、うなじが露わになる。ぱん、ぱん、また花火が上がった。

 花火の光で僅かに浮かび上がる白いそれに、目が釘付けになる。

 堪らずうなじに口づけると、

「……うぁっ!」

 今度こそナオは飛び上がって声をあげた。

 飛び上がった衝撃で、手にしたラムネ瓶の中のビー玉がからん、と微かな音を立てた。

 その声と微かな音は、数発打ち上がった花火の音に紛れて気づいた人間はいないようだった。

「てんめ、人が何も言わないでいたらいい気になりやがって……!」

「ナオ」

「なんだ!」

「そろそろ、帰ろう」

「っ……あ、あぁ」

 今日はナオの家に泊まることになっていた。今日だけとは言え、同じ家に帰れることがうれしくて――我知らず、早足になる。

「こら、足速ぇぞ壱!」

「……すまない」

 ふと、あることに気づいてオレは笑った。

「……? んだよ、何がおかしいんだよ」

「ナオは小遣いを上げて貰えたか」

「はぁ? 何の話だよ……」




『ナオちゃんとずっとふたりでいられますように』



 終

・あとがきにかえて

数年前にサイトに載せていたのですが、恥ずかしくなって消していた短文達のうちのひとつです。古いPCのHDDの中から発掘しました…!

今読み返したら、まぁそんなに恥ずかしくはないかなー…という気持ちになったので(残り二つの短文はやっぱり恥ずかしかったので、お蔵入りのままにしますw)

そのまま載せるのも何だし、と思い加筆修正してみました。

書いた当時、本編では内面がなかなかわかりにくい壱視点に苦戦した記憶があります…。随所に頭の良さ・ナオに関することは漏れなく覚えている感

を出したつもりだったのですがどうでしょうか…。

ほんの少しでも楽しんで頂けたならこれ以上の幸いはありません。